阪神間のほぼ真ん中に位置する街で、岩舟家の長男として一九六九年に生まれた。学校を卒業して就職し独り暮らしを始めるまでこの街で過ごし、今は別の街で暮らしていますがずっと阪神間で生活しています。
両親は僕にまっすぐに伸び、ブレることがない大きな木のように育つようにと直樹と名付けられました。自他ともに認める名前負けです。
父は神戸生まれの神戸育ち。中学校を卒業後神戸のカフェに就職し、コーヒーを入れたりパフェやパンケーキのほか、焼き菓子やケーキなども作るバリスタやパティシエとウェイターなども兼ねたスタッフとして、あちこちのお店を転々としながら働いています。父自身はバーテンダーだと言っていますが。
母は広島県の生まれで栄子と言います。中学校を卒業して地元を離れ、大阪南部(泉南)にたくさんあったタオルなどを作る紡績工場で働いていたようです。
実家のすぐ近くには国鉄が走っていて、子供のころはよく父に連れられて電車を見ていました。父はおそらく鉄道が好きなのかなと思いますが、僕はそれほど興味はなくて走っている様子を見てもあまり楽しくはなかった。でも電車に乗ってお出かけするのは大好きで、母の実家まで特急電車に乗って行くのが楽しみでした。家には車がなかったし、新幹線はまだ東京と新大阪の間しか走っていなくて、「しおじ」「みどり」「なは」などに乗って景色を楽しみながら、広島県の東部に位置する海沿いの町へと向かうのです。
鉄道には興味はなかったけど、小さなころからオートバイが大好きでした。まだ二歳か三歳だったころ、実家のお隣の大学生がオレンジ色のタンクが印象的なホンダCB750K2に乗っていて、よく乗せてもらっていたのです。そのお兄ちゃんがシートにまたがり、僕はシートとタンクの狭間やタンクの上に座り、目いっぱい手を伸ばしてハンドルになんとかしがみつき、お兄ちゃんは膝で僕の足をきつく締めるようにニーグリップして走行中に落車しないようにして、ヘルメットもかぶらずに国道を疾走してくれるのです。(注 当時はヘルメット着用義務化は高速道路だけ)電車とは違って風が直接体に当たることや、オートバイの振動も直接感じられるのがオートバイが好きになった理由で、CBにちょこんと座っていた時に見た同じ風景を、大人になって自分でオートバイを運転して見た時は本当に感激しました。
母の実家には祖母と母の兄の侑が二人で住んでいました。伯父はやたらと僕のことをかわいがってくれるし、僕も伯父のことが本当に大好きで、小学校へ入学するまでは一年の半分は母の実家ですごしていました。
母の実家ですが僕はお祖母ちゃんの家とか伯父ちゃんの家といった呼び方をせず〝田舎〟と呼ぶことが多かった。家の周りは良く言えば自然がいっぱい、言い方を変えれば自然以外は何もない田舎で、そこにぽつんと建つ家だから〝田舎〟です。
そんな田舎にあった〝田舎〟ですが、伯父と家の前でキャッチボールをしたり川で釣りをしたり、小さな沢へ行ってサワガニやカエルを捕まえたり、大きなトンボやカマキリを捕まえたり、カブトムシやクワガタムシは山へ捕まえに行かなくても勝手に家の中に飛び込んでくるし、たまには家の中をムカデが這っていたり、家の横の畑にマムシがいて驚くこともあるけど、この何もない〝田舎〟が大好きで家には戻りたくはない、ずっと〝田舎〟に住んでいたいと思っていました。でも行き来しないと特急電車に乗れないから仕方がなく家にも帰っていた、僕にするとこんな捉え方をしていたように思います。
大好きだった伯父は一九七二年にお見合いで結婚しました。伯父の結婚式ではまだ三歳だった僕は紋付き袴姿で雄蝶と呼ばれる稚児をすることになり、三三九度の際に新郎新婦にお酌をする役目をしました。
伯父夫婦は駅の近くにアパートを借りて新婚生活をスタートしましたが、伯父は結婚後もそれまでと変わらずに僕をかわいがってくれます。伯父が休みの日にはそれまでと何ら変わらず、釣りやキャッチボールをして遊んでくれます。でも義理の伯母に当たる幸子にすれば面白いはずがありません。新婚の伯父が新妻の伯母を放置して僕の相手ばかりをするのですから。伯父が仕事の間はアパートではなく〝田舎〟で祖母とすごしますが、仕事が終わると伯父が迎えに来てくれてアパートですごすことも多く、泊まる時には新婚夫婦の邪魔をするように伯父といっしょに寝ていました。伯母から見れば僕は血の繋がりのない義理の甥で、せっかくの新婚生活を邪魔する存在なのですからかわいいはずがない。口では何も言ってきませんが、僕を見る目がすべてを物語っていることくらい、子供の僕にでもすぐにわかりました。
でも少しずつ変化を感じるできごともありました。
一九七五年には小学校へ入学したので、それまでのように一年の半分以上を〝田舎〟ですごすことがなくなりました。さらに〝田舎〟への行き帰りの楽しみだった特急電車は、山陽新幹線が岡山から博多まで延伸されて廃止されてしまいました。はじめて新幹線に乗った時は興奮したし、それまでの特急電車より一時間半ほど早く着くのですごいと思ったのですが、トンネルが多くて景色が楽しめなくなり僕的には一度乗ればそれで十分。特急電車に乗って移り行く景色を見る楽しさを新幹線に奪われてガッカリし、〝田舎〟へ行く楽しみが半減しました。
特急電車がなくなったことは残念でしたが、それ以上に残念だと感じる出来事がありました。伯母が妊娠していることもあり、この年の夏休みはずっと〝田舎〟で祖母と二人きり。以前は祖母の家にいても伯父が相手をしに頻繁にやってきたり、僕をアパートへ連れて行ってずっと相手をしてくれたのですが、この年の夏は数回やってきて一言二言と話をするだけでまったく相手にされず、暇を持て余してただ窓から空や山を見るだけで夏休みが終わってしまったのです。それまでは尋常ではないくらいにかわいがってくれていた伯父が、どうして無視に等しいくらいの対応をしてくるのがわからず、
もう僕のことなんて嫌いなんだ、もう僕なんてどうでもいいんだ――。
こんなことを真剣に考えもしました。僕には三歳年下の弟がいて、母のお腹にいる間もふつうに相手をしてくれたから、伯父の豹変ぶりが信じられなかったのです。
はじめて自分の子供が生まれる時のうれしさなんて子供にはわからず、伯父に捨てられたという思いしか抱けません。何せそれまでは新妻の伯母を放置してでも、ずっとかまってくれていたのですから。もちろん大人になれば伯父の気持ちもよく理解できたのですが、まだ小学校に入学したばかりの僕にはそれは無理でした。
そして秋に伯父と伯母の間に待望の赤ちゃんが誕生しました、智子という女の子です。
冬休みに智子の誕生のお祝いを兼ねて〝田舎〟へ行ったのですが、伯母は僕が智子に近付くのがいやなようで、少し覗き込もうとしただけで抱っこして遠ざけるし、伯父も僕の前に立ってまるでブロックするような体勢を取り、何があっても近付けなくしてきます。そして伯父は僕にはほとんど言葉を発さず、智子の顔を見て目尻を下げています。
智子に伯父を盗られた――。
大好きだった伯父が僕には目もくれず、智子をかわいがる様子を見てそう思いました。当たり前のことなのです、やや婚期が遅い上になかなか子供を授からなかった伯父のもとへ、待望の天使が舞い降りたのですから。でも小学一年生の子供には伯父の心情は理解できません。新しく親戚となった智子が伯父を盗ったとしか思えず、ただただ智子のことが大嫌いでした。