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小説「1%の不安と意気地なし」は「小説家になろう」に投稿していて、当ブログへは遅れて掲載します。

それぞれのスタート 2

1%の不安と意気地なし

「ねえ、あなた、昨夜は『いとこ』のあの女と会っていたんでしょ? 抱いたの?」

「何を言っているんだ?」

「知っているのよ、あなたがあの女とメールのやり取りをしていたことは」

「知ってるって、僕のケータイを盗み見したんだろ?」

「そうよ、あなたがお風呂に入っている間にね」

「ああ、会ったよ、あくまで『親戚』としてね。だから僕は指一本触れてはいないよ」

「そんなわけないじゃない! あなたとあの女は相思相愛の仲じゃない。そんな二人が男女の仲にならないわけがないでしょ!」

「君ってすぐにセックスに結びつけるんだね。僕が智子を抱いたとか、智子や香織が来ているときにしてほしいとか。そりゃ僕だってセックスは好きさ、でもね、僕には理性がある。いま僕の置かれている立場や状況をまず考えるし、相手の立場や状況だって考える。闇雲にだれでも抱くなんて犬猫じゃないんだよ、僕は!」

「じゃあ聞くけど、どうして私たちの子供にあの女の名前の一字を使ったの?」

「今その話は関係ないだろ……、すぐにあちこちに話が飛びまくる。まあ、いいや。「智」という字は智子から取ったわけではない。出生届に名前を書くときにはじめて気が付いたくらいなんだよ。君に言ったところで信じはしないだろうけどね」

「ええ、そんな話は信じられないわ。あの女から『智』という字を取った意識はなくても、あなたの心と頭のどこかに、あの女の存在があるからあの字を使うのよ」

「そう思うのならばそれでもいいよ。『いとこ』として智子のことが好きなのは事実だからね。でもこれだけは言っておく、僕は智子には指一本触れていない! 久しぶりに会って、食事をして話をしただけだ」

「あなたはそんな人じゃないでしょ。私とはじめて二人きりで会った時にも求めてきたくせに。女を見るとすぐに前を大きくして迫る人が、指一本触れていないなんてあり得ないわ!」

「たとえどんな状態であろうと結婚している身だ。いくらすぐに求める僕でも、結婚している以上はその一線は絶対に守る。理性の欠片もない人間と同じにしないでくれ!」

「でもあなたたちはお互いに好きなわけでしょ? あなたが理性で一線を超えないように止めたとしても、あの女は絶対にあなたに迫ってくるでしょ? どう考えても抱いていないなんて考えられないわよ!」

「悪いな、僕も智子もお互いの状況をまず初めに考えてから行動するんだよ。本能の赴くままに抱き合うなんてことはしないよ。もしも僕も智子も君の言うような人間だったら、大昔に抱いているさ、チャンスはいくらでもあったのだから。ただし僕が智子と関係を持っていたら、君とは関係を持つどころか出会いもしていないさ」

 

 僕と智子は相思相愛の仲だとお互いにわかっている。でも僕も智子も相手に『好き』とは一度も言っていない。それらしいことを話してお互いの気持ちはわかり合っているけど、明確に告白もしていない。彼氏や彼女がいないとか結婚していないという状況であり、お付き合いに発展しても何も問題がなければ告白していただろうし、それこそ海岸で智子を抱き寄せていただろう。でもいま僕が智子に手を出せば、僕は智大を捨ててでも智子に走る。そうなれば智大だけではなく智子にだって迷惑が及ぶだろう、だから智子に指一本も触れてはいないし、何もできなかったのだから。

 でも一度だけ食事しようと誘われれば、男と女の関係を期待するのも人としては当然。智子が期待を抱いていたとしても何らおかしなことではない。でも僕はそれを打ち破ってまで智子に触れなかった。触れてはいけないと思っていた。でも妻にこれだけ言われれば、自分自身で定めた一線を越えて智子と関係を持てばよかったと思ってしまう。だって僕の本心は智子のことが大好きで、抱きしめたいし、キスしたいし、できれば抱きたいと思っているから。ただ僕の妙なこだわりで止めているだけなのだから。

 その後も連日のように智子のことについていろいろと問い詰めてくる妻でしたが、一度きりの食事以降は電話もメールもしていない。そして僕と妻は同居人というカテゴリーを突き抜け、憎しみ合う隣人のような関係に陥っていた。

 僕に智子のことをあれこれ言いだしてからは、さらに妻の買い物癖は収まるどころか酷くなる一方。どう考えても僕の給料で賄いきれないはずだと考えていたある日、郵便受けに金融会社からの督促状が届いていた。

 

 やっぱり僕の給料をはるかに超える額を使っていたんだ――。

 

 給与振り込みに使っている銀行の通帳を見るとほとんどお金がない。そして数社からカードローンでお金を借りていることもわかった。結婚前から預けていた定期預金も、通帳を見るとすべてが途中解約されて残金は一円もなく、お金を貯めるどころか生活資金にも窮している状態に陥っていた。残業や休日出勤をこれまで以上にこなすしか生活を維持することができなくなり、所持していたオートバイをすべて手放して生活費やカードローンの返済にも充てた。本当に大切にしていた一〇年以上前に初めて購入し、智子と二人乗りした思い出の詰まったゼファーも手放した。

 

 僕は智大のことも考え、あんな母親でもいるほうが良いはずと思って離婚には踏み切らずに我慢して生活していたけど、さすがに今の状態が続けば生活が破綻してしまうし、僕の身も心も壊滅的に壊れてしまう。そうなれば智大にも甚大な迷惑がかかることになるので、弁護士を間に入れて協議を行うことにし、僕は智大を連れて実家に帰った。

 僕が不誠実な態度で結婚生活を送るから、自分を慰めるために消費行動に走ったと相手方の弁護士を通じて主張するなど、妻は離婚はしないとの強い意思をなかなか崩さなかったが、何とか二〇〇二年春に離婚することで合意。妻が作った借金は全額妻が負担することになり、僕が結婚前から貯めていたお金や、生活と妻のローン返済のために独身時代からの愛車を泣く泣く手放したりもしましたが、それらはすべてあきらめました。請求したところで返ってくる見込みがまったくありませんから。

 智大の親権は僕が持つことになりました。かなり揉めたのですが、智大が僕と生活することを選んだのが決定打となりました。

 ただ僕が仕事で遅くなる日や、逆に早朝に家を出る日には智大を母に見てもらおうと思っていましたが、母には母の人生があるだろうし、まだ若いから僕との同居にも難色を示しました、母も独身ですしね。そこで智大を母に預けなくても大丈夫なように、会社に相談してふつうのサラリーマンと同じ時間帯のみの勤務にしてもらいました。

 離婚を前に妻は実家へ帰ったので僕と智大は元の家に戻ってきましたが、前妻と生活した家でこれからも住み続けるのはイヤだったし、まったくのゼロからのスタート、いえマイナスからのスタートになるので心機一転、生まれてからずっと生活してきた街を出ました。会社へは電車で通うことになりますが、智大の生活に支障が出ない様に考えての行動だから特に問題もないはずですし。

 これで僕自身の自由はほぼ無くなるでしょうが、この状況は僕が招いたものですから仕方がない。これまで節目節目でのさまざまな選択が誤っていたからこその今の状況です。だれも責めることができない、責めるべきは僕自身のこれまでの積み重なる判断ミスですから。

 

 智大は春に無事に小学校へ入学しました。別の街に移り住んだから友達はだれ一人いませんでしたが、すぐに打ち解けて楽しそうに学校へ通ってくれるので一安心というところです。

 仕事と家事と子育てのすべてを一人ですべてこなすのは大変ですけど、精神的に落ち着いた生活を送れるようになり、僕としては初めて正しい選択をできたのかなと思っています。

 こうして離婚後の生活も何とか軌道に乗り始めた時、一通の角封筒が郵便受けに入っていました。

 

 そうか、智子は結婚するのか。どんな相手を選んだのかな、ちょっと楽しみだ――。

 

 智子は六月に結婚するようで、角封筒は披露宴への招待状でした。智子に最後に会ったのは一年と少し前のこと、その後に旦那になる人を見つけたのかな。それとも元々彼氏はいたけど一度だけの食事というから誘いに乗ったのかな。

 いずれにしてもおめでたいことだ。旦那になる人への嫉妬はもちろんあるけど、それ以上に智子はどのような人を結婚相手に選んだのかが気になる。あの智子に選ばれた男だ、僕とは違って本当にいい人間、本当にいい男に違いない、そうでなければおかしい。

 

 おめでとう、智子――。

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