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小説「1%の不安と意気地なし」は「小説家になろう」に投稿していて、当ブログへは遅れて掲載します。

本当に好きな人 4

1%の不安と意気地なし

 香織は高校卒業を待たずに一九九五年の秋にピアノ留学でフランスへ渡り、智子はおそらく中部地方の大学で勉学に、そして恋に励んでいるのでしょう。

 妻とは会話はあるもののただの同居人と化してしまい、子供がいなければ家族とは呼べない状態で生活する僕。仕事はしているけどあくまで子供を養うためであって、それ以上の目的も目標もなく、感覚としては給料を渡して家のことをしてもらっている感じ。お互いに子供のことに関しては口出しはするけど、お互いのことに関しては何も口出しはしないし、されもしない。ただ子供の面前で悪い行いはしてはいけないとの思いから、飲んだり女遊びで朝帰りのようなことは僕は絶対にしなかった。妻がどこで何をしているのかまでは知らないけど、夜に家を空けるようなこともなく、お互いに最後の一線だけは越えないようにして暮らしています。

 

 一九九七年の夏、大学四年生になった智子が伯父といっしょに実家へ来ると母からの電話で知りました。伯父は僕の家に来たかったようですが智子がそれを止めたそうで、仕事終わりに僕一人で実家へ行くことにしました。伯父や智子が僕の家に来たら、妻は今度はどのような挑発行為に出るのかわからない。今は完全に夫婦の営みなんてありませんから、直接智子にどんな難癖をつけるのか分からないので来なくて正解です。智子もその辺りのことは十分理解しているということでしょう。

 

「直樹、久しぶりだなあ」

「そう言えば長らく広島へは行ってないね……」

「直くん、元気?」

「うん、いつも通りかな」

 お昼前に仕事が終わって直接実家へ行き、伯父と智子にあいさつをした。妻のことを何か聞かれるのかと思ったけど、智子か母が上手く言ってくれたのか伯父からは何も聞かれなかった。

「智子も大学の四年生で春には卒業だけど、まだ就職先が決まっていないというか、どういう仕事がしたいのかがよくわからないみたいだから、ちょっと話を聞こうと思って来たんだ」

「直くん、お父さんは本当は野球を見に行きたいだけで、私をうまく使っているだけだから」

「兄ちゃん、直樹が来たから高校野球を観に行ってきたら?」

「じゃあワシは行ってくるから、直樹、悪いけど智子の話を聞いてあげてくれるか?」

 伯父はそそくさと待ちわびた高校野球観戦に出かけ、

「直くん、どこかでゆっくり話をしよう……」

 智子は家ではなく他の場所で話がしたいということで、昼食がまだだった僕は智子と歩いて近くのファストフード店へ出かけた。

 

「直くん、直くんって電車好きだった?」

「全然。本当に興味がなかったし、今も興味はないよ」

「じゃあどうして電車の会社に入ったの?」

「学校の先生に勧められたからさ。高卒でもそこそこ活躍できて給料もいい会社として勧められて、まあ潰れないだろうしいいかなと思ったのと、よく父に連れられて電車を見に行っていたんだよ、たぶん父が鉄道好きでその影響で会社を選んだのかもしれない」

「その程度なんだ……」

「うん。仕事なんて極端に言えばお給料をもらえれば何でもいい。そこに自分ができる仕事なのかとか、興味のある仕事なのかとか、あとは仕事の量や内容と給料が見合っているか。自分で納得できるのならば続ければいいし、ダメだと思えば転職すればいいとしか思ってないよ」

「直くんは今の仕事を納得して続けているってこと?」

「そうだなあ、今は一応家族持ちだから、仕方がなくという部分はあるけどね」

「そういえば、奥さんとは上手くやってるの?」

「智子と香織が泊りに来た日の夜、覚えているだろ?」

「うん……」

「智子たちが帰った後、家で大喧嘩したんだよ」

「そうなの?」

「あの夜は妻だということを智子に示したかったんだって。あの日以降は人間性が受け入れられなくて指一本触れていないよ。今はだからただの同居人。でも妻は離婚は絶対にしないってさ。離婚したらすぐに智子が妻になるのが見え見えだからだってよ」

「そういう風に見られているのか、私……、直くんの家に行かなくて良かった……」

「本当に……。だから惰性で結婚なんてしちゃダメだよ」

「うん……。直くんって結局は本当に好きな人を捕まえられないのかな……。私も無理だな、本当に好きな人とは結ばれない運命……」

「僕の場合は惰性で付き合った結果、本当に好きな人とは結ばれていないから自業自得、だれにも文句は言えないからなあ。でも、気持ちはずっと同じなんだよ、ずっと好きだから……」

「直くん、もしも私が近くで就職したら会ってくれる?」

「もちろん! 大学もこの近くの学校に来ると思って本当に期待していたんだ……」

「本当に? でも、直くんが『いとこ』としてって……」

「今も『いとこ』同士だよ。この先何十年経とうが『いとこ』であることは変わらない」

「それはわかってる……、でも、私は、そうじゃなくて……」

「わかってるよ、智子の気持ちは。『親戚』とか『いとこ』という縛りがあるから僕は気付かないふりをしていた。僕自身の気持ちにも気付かないふりをしていた。でも今はどんな形であれ結婚している。だからこれ以上言っちゃいけないと思っている」

「だったら……、どうしてもっと昔に言ってくれなかったの?」

「言いたかったよ、本当は。でも、もしもダメだった時が怖かった。智子は僕のことを男ではなく『いとこ』として見ているのに、告白することで関係性が変になってもう二度と会うことができなくなるような気がして。他人ならばそれでも平気だけど『いとこ』同士だし、とにかく智子を失うことが怖かったから……」

「そうだよね、私も同じ気持ちだからまだ直くんに告白できない。告白して直くんや智大くんがどうなるのかわからないから……。私のせいでみんなの人生を壊したら大変だから……」

「僕がもっと勇気を出して、それこそ、オートバイに二回目に乗せた時にでも告白していれば全然違ったのに」

「それは私も同じ。直くんに気付いてもらおうと思って、それらしく匂わすことしかできなかったから。付き合うとかじゃなくて、一言『好き』って言えれば良かったんだよね……」

 

 お互いの気持ちを確かめ合うことはできた。でもはっきりと『好き』とは言えなかった。僕は事実上破綻しているとしても結婚し妻がいて家庭を築いているから、今はっきりと告白したら『いとこ』との『不倫』関係に発展してしまう。僕は別に潔癖ではないし倫理観もかなり適当だし、そもそも単なる女好きでもある。でも僕にとって本当に大事だと思える唯一の女性の智子に対して、そんなレッテルを貼られるようなことはしたくはない。

 智子も同じように考え、今もし告白すれば僕とは不倫の関係に陥り、僕の子供である智大に大きな迷惑をかけることになる。そんなことを回避したかったのです。

 

「直くん、直くんはいつから私のことを思ってくれていたの?」

 ファストフード店を出て近くの公園のベンチに横並びで座っていた。

「いつからかなあ、意識しだしたのは智子が小四の時かな」

「そんな前から?」

「うん、智子がバスに乗って家へ帰る時、出て行くバスを見ているとジーンときちゃってね。小四の女の子なのにすごく気になって、僕自身も不思議な感覚だった」

「直くんを駅まで送りに行って、お化け屋敷に入って、ソフトクリームを食べた時だ」

「よく覚えているなあ、本当にその時だよ」

「私はね、直くんに初めてお馬さんごっこしてもらった時かな」

「僕がまだ中一の時だよ、智子は幼稚園へ通っていたころだよね」

「うん、お父さんからはずっと直樹にお嫁にしてもらえって言われていたけど、何を言っているんだろうって思ってたの。でもね、あのお馬さんごっこをしてもらった時、直くんって本当にやさしいって思って、私絶対にお嫁さんにしてもらおうって思ったんだ」

「そっかあ……、ごめんね、お嫁さんにできなくて……」

「でも、私の気持ちはその時から全然変わっていないから」

「僕が本当に智子のことを思うようになったのは、オートバイに乗せたころからかな。あの時、智子に彼女のことを聞かれてちょっと迷ったんだ。いないって言うほうがいいのか、素直に言うべきか。素直に言って失敗したと後悔したよ」

「私もあの時は落ち込んだからね……、でも、素直に話すところが直くんらしいよ」

 

 智子を僕の実家に送り届けてから家に帰った。

「どこかへ寄っていたの?」

「ああ、実家にね」

 妻との会話はこれだけで終わり、智大といっしょにお風呂に入って、夕食を食べて一日が終わる。今は妻とは別の部屋で寝ており、お風呂から出れば一人の時間が待っている。

 布団に潜り込んで今日の智子との会話を振り返った。

 僕と智子は相思相愛の仲だったけど、『親戚』とか『いとこ』という関係性に僕だけが振り回されていただけだった。

 智子の気持ちにはっきりと気付いていたしわかってもいたけど、一パーセントの不安が勝っていた。もしも智子が僕のことを男としてではなく『親戚』『いとこ』として好きなだけなのに、告白して変な目で見られるようになって、会うこともできなくなったらどうしようという一パーセントの不安。だったら告白せずに今のまま『いとこ』としての関係を維持すれば会うことができる、告白をしないほうが得策だと思い続けてしまった。

 そして遠く離れて住んでいるからしばらく会えなくなり、その間に智子への思いが心の中に沈んでしまい、仕事や遊びによって心の表面に蓋をしてしまう。蓋をする前に告白すれば良いだけのことだったのに。

 告白して智子と付き合い、やがては結婚して幸せな生活を送ることができたのか――。

 何もなければそうなっていただろう。でも結婚してから僕の知らない智子の一面を見たり、逆に智子が知らなかった僕の一面を見てダメになる可能性はある。でもそればかりは実際にいっしょに生活してみないとわからないこと、ただの杞憂に過ぎない。

 そう思うとやっぱり『親戚』『いとこ』という縛りを自ら解き放して、智子の思いを素直に受け取って素直に告白するべきっだった。もしも告白して……、という一パーセントの不安ばかり気にして、九九パーセントを捨て続けた僕がすべて悪いんだよ。

 智子は大学卒業後、関西では就職をせずに名古屋にある会社を選んだ。おそらく関西にやってこないだろうと思っていたから、この選択には驚かなかった。僕も智子もお互いにそばにはいたいけど、僕は妻と子供とともに生活している。智子がそばに来れば僕は智子のもとへ走り智大を捨ててしまうだろう。僕たち以外の人を不幸にしてまで自分たちだけが幸せになればいい、そんなことを考えもしないし望んでもいない。僕も智子もそんな性格だ。

 智子らしい選択だと思ったし、ますます僕は智子のことが好きになった。

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