お知らせ

小説「1%の不安と意気地なし」は「小説家になろう」に投稿していて、当ブログへは遅れて掲載します。

20年前のあの時間、僕も電車を運転していた

寝言・戯言・エッセイ

ちょうど20年前になる2005年4月25日のあの時間、僕も電車を運転していた。

新開地から特急電車を担当していて、三宮(現 神戸三宮)を出たところで無線が入ったことは鮮明に覚えている。

「JR西日本、JR宝塚線(福知山線)、尼崎~塚口間で〇線事故のため当社線との振替輸送を実施しています。振替対象区間は……」

この時の無線で僕は〝架線事故〟だと認識していた。

この当時のJR西日本では架線に関わる故障でよく運転取りやめとなっていて、僕の中では、

〝また架線が切れたのか、緩んでいたのかな〟

そう思っていました。

それに、都市部やその近郊区間で〝脱線〟が起きるという認識は微塵もなく、〝脱線〟なんてワードが頭に浮かんでくることはありませんでしたから。

 

その後も何度となくJR宝塚線の運転状況と振替輸送についての無線を聞き、10時過ぎまでの上り列車はかなり混むかもしれないなと思いながら運転していました。

岡本駅(神戸市)からの乗車数は日頃とあまり変わらないように感じましたが、西宮北口駅(西宮市)からの乗車数は明らかに多かった。

JR宝塚線が不通となって今津線へ振替輸送の方が流れてきたからでしょう。

 

武庫之荘駅(尼崎市)を通過してすぐのカーブを抜けると、そこから塚口駅(尼崎市)までは直線が続きます。

この時は古い電車を運転していてモーターなどの音もかなりうるさかったのですが、それ以上の音量が上空から聞こえてきます。

塚口駅に近付くと空をヘリコプターが何機も飛んでいるのが見えました。

〝架線〟の事故にしては騒がしいなと思いながら塚口駅を通過し、JR宝塚線をまたぐ跨線橋を通過する時には南のほうにヘリコプターが5~6機は確認できました。

やっぱりおかしい、架線の切断事故なんて言う生易しいものではないのかもしれない……。

そんなことを思いながら梅田駅(現 大阪梅田駅)へ電車を走らせました。

 

梅田駅に着くと旅客案内のための助役が立っており、向こうから話しかけてきました。

「すごいことになってるぞ、電車がマンションに突っ込んだらしいぞ」

そこでようやく脱線したことがわかりましたが、まだ詳細はわかりません。

梅田駅から西宮北口駅まで特急を運転して交代し、乗務員休憩所へ向かいました。

休憩所の奥には食堂のスペースがあり、テレビで事故の概要を見ました。

この時点ではどの程度の被害が出ているのかはわかりませんでしたが、とにかくただならぬ事故が起きていることだけはわかりました。

 

休憩の後、普通電車を西宮北口駅から三宮駅まで走らせましたが、事故のことが頭から離れません。

昔京阪電車であったような置き石が原因?

ブレーキ操作が遅れた?

速度オーバーでカーブに突っ込んだ?

車両に何らかの異変が生じた上での事故?

お客さんの被害はどうなっているの?

担当していた運転士は?

今自分が運転している電車でも同じようなことが起きるの?

本当に恐怖を感じて震えながら運転していました。

 

JRの三ノ宮駅の行先表示装置に、

「JR宝塚線は脱線事故のために……」

そんな文字も流れていました。

 

仕事を終えて家に帰っても、脱線事故関連のニュースばかりをチャンネルを変えながら見続けました。

事故原因かもしれない情報がテレビで次々に流される中、被害者の情報もどんどん更新されていきます。

これだけの人命を背負って日々仕事をしているんだよな。

テレビ画面を見ながらただそれだけが頭に浮かびました。

 

この事故の瞬間、同じ時間に同じ電車の運転という作業をしていた。

その瞬間を見たわけではない。

被害を被ったわけでもないし、被害を与えたわけでもない。

でも同じ作業する者として、申し訳ないという気持ちを持ったのも本当だし、これほどひどい事故を防ぐことができなかったのかという強い憤りも感じました。

 

いつもと同じように乗車していただけなのに。

いまだにモヤモヤした気持ちが消えません。

タイトルとURLをコピーしました