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小説「意気地無しなばかりに」は「小説家になろう」に投稿していて、当ブログへは遅れて掲載します。

仕事自体は本当に好きだったけど

寝言・戯言・エッセイ

会社を辞めたのは50歳の時で、もう9年になります。

関西のどこかで運転士をしていて、仕事自体は本当に好きで、自分に合っている仕事だなと思っていました。

何と言っても仕事が残らない、持ち越されもしない。

一瞬一瞬の判断が肝となる仕事ですし、それこそ停車駅に止めたとして、ちょっと止め方がイマイチだからやり直し、なんてことも絶対にできない。

一瞬が勝負な仕事ですから。

 

また休暇を取った日の仕事は誰かが完全にカバーして(お休みを取った時のための補充要員が一定数いるし、全部使えば誰かが休日出勤などでカバー)、翌日以降にお休みを取った日の仕事が上乗せされるなんてこともない。

これって本当に楽ですよ。

休んでいる日に仕事の事なんてまったく考えなくてもいい。

 

それに加えて、一般的なサラリーマンと比べて休みが非常に取りやすい。

休暇を取る際には用意されている用紙に名前を書いて、休暇を取る日を書いて出すだけ。

盆や年末年始などは地方出身者を中心に休暇申請が集中することもありましたが、それでもよほどのことがない限りは休暇が断られることはありません。

下手に断ったら、出勤日の出勤時間のほんの少し前に、

「体調が悪いから休む!」

と電話で告げられて出てきませんから。

体調が悪いと言っている者を無理やり乗務させて、万が一有責事故でも起こしたらそれこそ会社の管理体制が疑われます。

 

もう一ついい点、それは仕事をしながら季節の移ろいを感じられること。

毎年周りより早く咲く桜の木があって、運転しながらその木のつぼみの状態を見ては、まだ寒いけど春が季節の扉をノックするのはもうすぐだななんて感じていました。

夏の夕立も運転しながらだとその境目がはっきり見えて、400m先は土砂降りなんだなんてある種楽しみながら見ていましたし、山の木が少しずつ色付く様子を毎日見ていると少しずつ秋が深まっていっている、なんてちょっとセンチな気分に浸りながら運転することもありました。

 

 

もちろん腹が立つことはいっぱいありますが(お客さんの事や撮り鉄のことや……)

本当に腹が立つのは職場の環境でした。

鉄道会社によってそのカラーは違うでしょうし、同じ会社でも配属されている乗務区所ごとのカラーも違います。

私が配属されていた乗務区所は上意下達じょういかたつが徹底されていて、何があっても上の意思には背いてはいけない、その意思が間違っていても絶対服従という暗黙の掟がありました。

だからこそ事故や故障が発生したときなど緊急時には良い面もあるのですが、規則や規程に反することだったり、法を破るように強要されたり、一般的な常識とはかけ離れた指令が下されることも多々ありました。

他社で同じような事例があった時には朝のラッシュ時間帯であっても運転を取りやめたのに、なぜこの状態でこの会社は平然と運転させるの? なんてことも多かったですから。

さすがにこれはおかしいだろうと上役に進言なんてしたら、

「それが上司に向かって吐く言葉か!」

なんて平然と言ってのけ、まるで戦時中の軍隊を思わせる集まりでしたしね。

 

 

他社だと総合職が充てられることもある管理側の助役や駅長なども、車掌や運転士を経験した現場上がりの者が充てられていたのですが、運転士時代とは真逆のことを口にする人も多く、そういう人は出世していくんですよね。

私はそれが嫌で管理側への転換を拒否し続けていたのですが。

中には助役などになっても考え方が乗務員時代に近い人もいて、ああいう風になれるのならば管理側へ回ってもいいなと思っていた時期もあったのですが、いいなと思える人たちはどんどん違う部署へ飛ばされていくし、

「こんな腐った会社になんていられない!」

と言っていいなと思っていた人たちが会社を去ることも多くなっていき、残っているのは結局自分の意思なんて持たず上から言われたことにはすべてYes!と言える人たちだけ。

 

このままこの会社に残っていたら、病んでしまうかもしれない。

 

私はそう思っていたのですが、妻に言わせるとすでに病んでいたよと……。

目付きが変わり、人相も全く別人のようだったと。

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