彼女に会うことが億劫に感じ始めていた中、智子に会うことを優先した夏。その後も会う気にはなれずに秋に別れてしまいました。彼女のことが本当は好きではない、ただ何となく好きになった気分になって付き合っていただけ。そんな本心が浮かび上がったから。彼女もそんな僕に気付き、お互いのために別れようと提案してきました。気楽になった僕は一人でオートバイを転がして、それで満足な日々をすごしていました。
一九九二年には二度目の昇格試験挑戦で何とか合格し、夏から翌年の春まで長い研修生活をすごしました。この研修期間中は原則として有給休暇を取ることができないし、盆休みも正月休みもなく週休二日の日々が続く。当然広島の伯父の家へ行くこともなくただ会社へ通っているだけ。
伯父の家へ行くのは智子に会うため、その智子のことが心の奥底に沈み込んでいるから広島へ出かけようだなんて思いもしない。もしも智子を意識していれば、週休二日を使って伯父の家へ行くはずです。
この年の夏は智子もこちらへ来ることはありませんでした。母に聞いたところ、伯父は智子を誘って高校野球の全国大会を観に行こうとしたのですが、智子が拒否したそうです。部活が忙しいからと言っていたそうですが、昨年の秋には彼氏ができたようで、こちらには来ずにデートを楽しむ方が良かったのでしょう。
智子はやはり僕のことは男性としてではなく、『親戚』のお兄ちゃんとか『いとこ』として好きだったのでしょう。だから地元で彼氏を作ったわけですから。本当に良かった、去年の夏、智子に告白しなくて。
〝親戚なのに変なことを考えているんじゃないの?〟
下手に告白してこんなことを思われたら、次からは親戚としても顔を合わせにくくなる。
智子のことを『親戚』の女の子、『いとこ』の女の子として見ていかなきゃ――。
法的には結婚できるとしても『いとこ』に恋するだなんて、僕の性癖が暴走しているだけ。長い研修期間中に真剣にこのように考え、自分に言い聞かせました。
一九九三年の春に長い研修が終わり、夏は適度に休んでツーリングや海へ行って楽しもうと思っていましたが、
「直樹、去年は研修で仕方がなかったけど、たまにはお祖母ちゃんにも顔を見せなさい。三年くらい行ってないでしょ? 昨夜お祖母ちゃんから電話があって寂しがっていたわよ」
母からの電話で仕方がなく以前と同じように、職場の人たちとのツーリングの途中で僕だけ抜けて伯父の家へ行くことにしました。
「直くん、久しぶり? 私のことだれだかわかる?」
伯父の家へ着き最初に見た女の子がだれだかわからない。智子ではないと思うけど香織もこんなにかわいいはずがないと戸惑っている僕に、
「香織だよ、変わった?」
「直樹は香織に会うのはいつ以来?」
香織に続いて伯母がうれしそうに話しかけてきた。
「えっと、二年前にうちの実家に来た時は会わなかったから、ここで会って以来かな?」
「直くんはお姉ちゃんとデートしたけど、私とは顔も合わさなかったんだよね」
「デートって……、お茶しに行っただけだよ」
香織は高校一年生になっているが、僕が記憶している顔とはまったく合致しない。以前はどこにでもいるふつうの女の子の顔だったけど、今僕の前にいる香織の顔はテレビでよく見る人気アイドルにそっくり。ただし性格は伯母そっくりなのが何とも……。
見た目だけで言えば香織は本当にかわいいと思うし、このアイドルフェイスならば相当モテると思うけど、僕は智子のほうがやっぱり好き。
あくまで智子は『いとこ』として好きなんだと自分に言い聞かせる――。
祖母と話をしようと思うのですが、香織に捕まってなかなか部屋へ行けません。
「お姉ちゃん、デートに忙しくて帰ってくるのがちょっと遅いんだ。野球部のショートを守る人ですごくカッコよくて、学校で一番人気の人なんだよ。だから直くんが頑張ってもお姉ちゃんは振り向いてくれません、あきらめるほうがいいわよ」
「すごいねえ、そんな人気のある人と付き合ってるって、智子もやるもんだ」
「ところで直くんは彼女はいるの?」
「いないよ、でも時間に縛られず自由にできるから気楽なんだ」
「強がり言って!」
「強がりじゃなくて、付き合っていたらやっぱり時間を割くことも必要だし、本当に自分が今したいことを犠牲にすることもあるしね」
「それは私も同じかな……。私はピアノが一番だから、彼氏ができて時間が削られるのはイヤかも。でも彼氏がいないから次々に告られて、断るのが大変だけどね」
「すごいなあ、僕もそんなセリフを吐いてみたいよ……」
「そうそう、でも六月ごろからお姉ちゃんは彼氏とあまり会っていないのか、授業が終わるとすぐに帰ってくるんだ。別れちゃったのかな?」
「でも香織と言い智子と言い、すぐに彼氏くらい作れるから心配する必要もないね」
「当たり前でしょ! 私なんてピアノがなければ今ごろ何人の彼氏がいることか!」
「母親の私に似て、香織ならばホイホイと彼氏くらいは作れるよね」
伯母の発言に呆れてしまい、ちょうどいいタイミングだと思い祖母の部屋に移動した。
「直樹、香織に捕まっていたのかい?」
「うん、香織は相変わらずだね、伯母もだけど……。それより祖母ちゃんは変わりない?」
「年相応にね。あの小さかった直樹が二四歳、そりゃあ体にガタもくるわね……」
「でも畑仕事はしているんだろ? 都会の動かない年寄りよりははるかに元気そうだよ」
「こんな田舎だとすることもないから、畑仕事がちょうどいいんだよ。それはそうと、直樹は運転士になったんだね、大変な仕事だし、良い人を見つけて身を固めなきゃ」
「結婚ねえ、何にも考えていないよ。相手もいないしさ」
「そうそう、直樹に聞きたかったんだけど、二年前に侑たちが直樹の家へ行っただろ? 帰ってきた智子がやけに元気がなくて、何かあったのかと思ってさ。行く前は小学生が遠足に行く前の日みたいにはしゃいでいたのに」
「そうなんだ……」
「栄子(母)に聞いても心当たりがないって言うし……、直樹は智子と二人で出かけたんだよね? だから何か知っているかなと思ったんだけど……」
「カフェに行って二人で話はしたけど、特に変わったことはなかったように思うけど……。その後の智子の様子は? 何か変わったことあった?」
「そうだねえ、その後すぐに野球部のかわいらしい子と付き合いだして。でも見たところではあまり楽しそうにしていないようだし……」
「ふーん……、香織が言ってたけど、最近は帰りも早いって言うし……」
「そうそう、授業が終わったらまっすぐに帰ってきているみたいだね。そうは言っても元々帰ってくるのは早い子だよ。遅くとも七時すぎには帰ってきていたし」
「彼氏がいればもう少し遅くなっても不思議ではないのにね」
僕の実家へ来る前ははしゃぐほどにうれしそうだったのに、帰ってからは元気がなかった智子。智子は僕のことを好きな『親戚』『いとこ』のお兄ちゃんだと思ってはいても、新しい彼女がいると聞いて少しはショックを受けたのかな。でも一時的にショックを受けたとしても、あくまで僕のことは親戚として見ているから学校内で彼氏を作ったんだよね。
そんなことを考えながら祖母と話をしていると、学校から智子が帰ってきて祖母の部屋へ入ってきた。時間は三時を回ったところで、たしかに帰ってくるのが早い。
「直くん、何時ごろ来たの?」
「智子、おかえり。僕は三〇分くらい前に着いたところ。学校へ行っていたんだね」
「うん、大学進学組は夏季特別授業に出ないといけないから」
「受験生だもんなあ、大変だ……」
「直くんは去年の夏からずっと研修だったんでしょ? それも大変じゃない」
「智子、直樹と話をするのもいいけど、着替えてからゆっくり話をしなさい」
「僕も二階へ行くよ」
智子といっしょに二階へ上がり僕は客間へ、智子は自分の部屋に入った。
五分ほどすると着替えた智子が客間へやってきて、
「直くん、二年ぶりだよね。元気にしてた?」
「うん、ボチボチかな」
「彼女とはうまくやってるの?」
「二年前の秋に別れてからは、だれとも付き合っていないよ」
「え? 別れたの?」
「うん、やっぱり本当に好きではなかったんだ。相手もそれに気付いて、お互いのために別れようということになってね。智子は彼氏とは上手くいってるの?」
「うーん、何だか微妙で……」
「学校内でかなり人気の野球部の男子なんだろ?」
「二年前の秋に付き合い始めたんだけど、最初は楽しかったよ。でも何かが違うような気がしてきて……。彼のことを本当に好きにはなれなかったのかな、直くんと同じだよね……」
「二年前の秋か、僕が別れたのと同じ時期に付き合い始めたんだね」
「二年前の夏に直くんに会って、その後だよね、お互いに……」
「智子、今でも本当に好きな人は別にいるの?」
「うん、今の彼と付き合ってみて、私が本当に好きなのはだれなのかがはっきりしたよ」
「そうなんだね。僕は僕が本当に好きな女性がだれなのかがはっきりとわかったんだ。だから彼女と別れて今はだれとも付き合ってはいない。でもその女性は僕のことを恋愛対象としては見ていない、そんなこともはっきりとわかったんだ」
「直くん、本当に好きになったことはないって言ってたのに……」
「ある日突然急に気になって惹かれるかもしれないって、昔言ったことがあるだろ。その通りになったみたいなんだ。でもその彼女は僕には無関心な気がしてね……」
「そうなんだね……。私が本当に好きな人は、私のことを好きではないような気がして、それで今の彼と付き合うようになったんだけどね。彼のことを好きになろうと思ったけど、やっぱり無理だった……」
「難しいね、付き合うのって……」
「うん……」
夕飯後に伯父や祖母そして『いとこ』たちとと談笑して、夜九時過ぎに客間に戻った。部屋を暗くしてカーテンを開けて、夜空に浮かぶ星を見ていた。昔はもっとたくさんの星が見えたのに、今は半分も見えやしない。相手の心も半分も見えていないのかな。僕の心も半分以上を隠していて相手からは見えないのかな。
「直くん、入っていい?」
「いいよ」
星空を眺めながら考え事をしていると、智子が部屋にやって来た。
「直くん、大学のことなんだけどね。神戸や大阪の大学に入って、直くんの家の近くに住んだら、時々は会えるのかな?」
「関西の大学に入るの?」
「うん、悩んでいるんだ、特に行きたい大学はないし、それだったら直くんに会えるように、近くの大学へ行くのもいいかなって思って……」
「もちろん、近くに住めば会えるよ。今みたいに短い時で一年後なんてことにはならないよ」
「直くん、会ってくれる?」
「もちろん! 僕……、何でもない」
危ない、もう少しで智子に告白するところだった。智子は僕のことを『いとこ』として好きなだけなのに、真剣に告白なんてしたら軽蔑されるよ。
「直くん、どうしたの? 何か言いかけたみたいだけど……」
「本当に近くに住みはじめたら、うれしいなって思ってね」
「でも、『いとこ』としてでしょ?」
智子はこういう話の時には『いとこ』をやけに強調して話すけど、やっぱり僕に対して予防線を張っているんだよな。僕としては本当に残念だけど、告白して変な目で見られて会いづらくなったり、避けられて会えなくなるよりは『いとこ』『親戚』という立場でも良いから、会って話ができるだけで僕は我慢できる、いや満足できる。満足だと自分に言い聞かせる。
「まあ、そうかな……、『いとこ』同士だしなあ」
「直くんは自分で思っていることを素直に話すほう?」
「うーん……、できるだけ話そうとは思っているけど、話せないこともあるし、話して失敗したり恥をかくのもいやだから、話さず心に隠すこともあるし……」
「私も直くんと同じ……。自分から話して失敗したくはないから、相手に気付いてもらえないかなと思いながら話したり行動するけど、なかなか気付いてもらえない……」
「僕は気付かれるのが恥ずかしいから、できるだけ表に出さないようにしているかも……」
「だから直くんは〝おすましさん〟してるんだ! でも、やさしさはよく表れてるよ」
「おすましさんに見えるのか、でもやさしいと感じてくれるのならばそれでいいかな」
「でも、直くんの本心はおすましさんのせいで見えにくいよ……。直くんの本心が見えてショックを受けるようなことになってもいやだけど……」
「僕の本心が見えちゃって、それで嫌われるようなことになるのも僕にしたら怖いんだけど。僕は変なことを考えていないつもりでも、僕の本心を覗いた人はどう思うのかわからないし」
「直くん、直くんって今までに女性に告白したことってある?」
「あるよ。でも全部フラれてる、ものの見事に……」
「じゃあ、今まで付き合ってきた女性はみんな告白されたの? 女性のほうから?」
「告白もあるけど、気付いたら付き合いが始まってた……、みたいな感じが多いよ」
「好きでもないのに付き合って、結局は彼女のことを好きになれずにって感じ?」
「智子もそんな感じ? ひょっとすると」
「うん……、たぶん。本当に好きな人とは楽しく話せるし、その人は私にやさしくしてくれる。でも告白してフラれたら、そこからは顔も合わせられなくなるような気がして本当に怖い……。だから私の気持ちに気付いてほしいけど、なかなか……」
「智子のその気持ちがすごくわかるよ、本当に大好きだし本当に大切な人だから、告白してダメだった時の〝その後〟が怖いんだよ」
「同じなんだね、私と直くんって……」
「ところで、大学の件だけど……、本当に関西へ来るの?」
「行っちゃダメ?」
「そんなわけがない、僕は……、僕は近くに智子がいるほうがいいから……」
「本当に?」
「うん」
「でも直くん、それは『いとこ』としてだよね」
「うん……」
やっぱり僕は意気地なしだから、最後の一言を伝えることができなかった。智子に変に思われることが怖いから。
智子は秋には彼と別れ、大学も関西ではなく中部地方の私立大学を選んだ。